白日


♦︎Aにはまったので。

御礼。



【白日】

 それはまるで、悲壮感に満ち溢れたどこまでも果てなく続く夥しい数の人間による静かな葬列のような連なり。

 なんて厨二臭いものはどこにもなく、避難訓練で教室から校庭まで続く列があるだけ。
 高校生にずっと黙ってろなんて無理な話で、悲壮感とは無縁の女子の甲高い声があちこちから聞こえてくる。この中には何の列かもわからずに歩いている奴もいるかもしれない。

 俺たち野球部はこういう行事は率先して真面目にやらなければいけないのだが、ちょっと鬱陶しいと思うお年頃でもあり。
 俺は全てのクラスの一番後ろをのんびりと歩いている。

 –––礼ちゃん見っけ。

 「高島せんせー!あのね–––」
 階段の降り口で生徒を誘導している礼ちゃんの前で数人の女子が立ち止まる。
 「はいはい、今は黙って校庭まで歩いてね。階段危ないから気を付けて。話は後で聞くから」
 「はーい」
 礼ちゃんは女子からの人気も高い。
 美人で頭よくて家柄もよくて色気があって、なのにお高くとまらず、誰にでも優しい…女子はそういう何もかもを備えた女性を敬遠するのかと思っていたけど。
 そういう女性になりたいとか憧れ、なのだろうか。
 俺にはよくわからないけど、まぁ、俺はそんな礼ちゃん好きだな、なんて事をぼんやり考えながら、少しづつ前に進む。

 幸いにも、というか、完全に狙ってたんだけど、一番後ろの俺は礼ちゃんと一瞬だけでもふたりになれる。
 「一緒に校庭まで行こうよ」
 「私は教室を確認して回らないといけないの」
 やっぱり一瞬じゃ足りない。
 「一緒に行くよ。礼ちゃんひとりにしておいたら危なそうだし」
 「どういう意味よ」
 「誰か隠れてたらどうするんだよ。危ないでしょ」
 こんな訓練、面倒だと思う奴が隠れている可能性はある。それが男子で、もしかしたら–––ダメだ。そんなのダメだ。やっぱ一緒に行かないと。
 「点呼があるんだから、御幸くんは早く行きなさい」
 礼ちゃんは俺にはくるりと背を向けると、スタスタと教室に逃げ遅れた生徒(隠れている生徒)が残っていないか、確認し始めた。

 「ねぇ、礼ちゃん」
 無視。
 「この教室汚ねぇ」
 無視。
 「次、俺の教室だよ」
 無視。
 「誰もいない校内って、昼間でもちょっと怖くない?」
 はい、全部無視。

 最後の教室の出口前。
 一通り回って気が抜けたところで。
 礼ちゃんが振り向くところを狙って、目の前に立つ。
 「なにかしら?」
 最近ではこういうのも慣れてしまったのか、最初の頃のような照れが無くなってきたように思う。
 それでも十分動揺してるのがわかるくらいに顔は赤いけど。
 「なにって、わかってんでしょ」
 「わからないわよ」
 「そんなはずない」
 肩を掴んで顔を近付ける。ゆっくり礼ちゃんの眼鏡を外して、机に置く。
 額を合わせて、鼻の頭をくっつけて擦り合わせて、–––
 「おわり」
 肩を離すと礼ちゃんは少し驚いた顔で俺を見る。
 校庭から点呼の声が聞こえてくる。
 「点呼始まってるから急ぐよ」
 と俺が先に歩き出すと、礼ちゃんがほっと息を吐き出す音が聞こえた。

 階段の踊り場。
 「ああ、忘れてた」
 振り向いて2段上にいる礼ちゃんの唇を下から奪う。
 「待ってたの、これ?」
 「ち、違うわよ!待ってなんて–––」
 照れて動揺して真っ赤。
 こんな礼ちゃんを知ってるのが俺だけだって、人に自慢したくなるくらいの幸せ。しないけど。
 もう一度同じように唇に触れると、危うく肩を突き飛ばされそうになって、腕を掴んだ。
 「礼ちゃん、ここ階段。危ないから」
 掴んだ腕を組んで踊り場までの数段を降りる。
 「このまま行く?」
 礼ちゃんは何も言わず、俺の腕を振りほどいてさっさと歩き出した。

 点呼の終わった校庭に、ふたりで出る。当然みんなの視線が俺たちに集まり、避難訓練の担当教師が苦い顔で近付いてくる。
 「なにをしてるんですか!」
 勿論矛先は礼ちゃん。
 「申し訳ありません」
 礼ちゃんが頭を下げる。
 「礼ちゃ…高島先生は悪くありません。俺がトイレ行ってる間にみんな行ってしまったので、待っててもらいました」
 「本当ですか?」
 苦い顔の教師は、もっと別な理由を、いかがわしいことでも期待しているような顔をして礼ちゃんを見る。気持ち悪い。
 まぁ、実際、軽くいかがわしいことをしてたんだけど。
 同じ事を考えていたのか、黙ってしまった礼ちゃんの腕を小突く。
 「は、はい、そうです」
 「そうですか。わかりました。御幸は早く自分のクラスの列に行きなさい」
 「はい。すいませんっしたぁ」
 素直に謝ってクラスの列へ行く。
 その後消防署だかの人の話があって、校長の話があって、さっきの苦い顔の教師が訓練の終わりを告げた。
 一気にざわざわし始めた校庭で、何気なく教師達の列を見る。
 礼ちゃんと目が合う。
 申し訳ないような顔を俺に向けているけど、やっぱりさっきの動揺して真っ赤な顔が好きだなぁ、次はどんな風に驚かせようかなぁ、なんて思っていると、急に肩を組まれた。
 こんなスキンシップをしてくるのは、案の定、倉持。
 「お前な、露骨すぎんだよ。もっと上手くやれよ」
 こそこそと耳の側で話し出す。
 「なんの事だよ」
 「とぼけやがって。バレたら先生クビだぞ」
 いつになく真剣な声。
 「バレて困るような事、なんもしてねぇから」
 「…ならいいけどよ。バレて困るのはお前も同じなんだからな」
 言いたい事も、俺の返事に納得してないのもわかる。
 俺だってそんな事くらいわかっている。
 部に迷惑がかかるって事も。
 でも俺たちは互いに互いを守る決意がある。言葉にして確認した事なんてないけど、関係が変わった時から覚悟と守り合う決意がある。
 だから一緒にいられる、と俺は思っている。

 ただ、倉持の観察眼が特別優れているってのもあるかもしれないけど、俺たちがそんな風に見えてるって事に悪い気はしない。

 あ。礼ちゃん、後でさっきの女子達に何してたんだとか、根掘り葉掘り聞かれるんだろうな。
 そこは、ごめん。



2015/07/16
※片岡先生は職員室待機組です。